
暦の上では、もう秋です。
立秋を境に、風の名前が変わります。夏の南風から、秋の気配を含んだ「白南風(しろはえ)」へ。とはいえ、実際の台所はまだ夏のまま。西日が差し込んで、火を使えばすぐ汗が滲む。そういう時期です。
そして、こういう時期に限って、なぜかうまくいかない日があります。
出汁の引き方はいつもと同じのはずなのに、なんとなく平板な味になる。野菜の火の入りが、一歩遅れる。盛り付けの手が、どこか止まる。特に失敗したわけではないのに、仕上がりに「何か足りない」感覚が残る。そういう日です。
原因のひとつは、おそらく気温と湿度です。夏の終わりから秋の入り口は、食材の状態が読みにくい季節でもあります。冷蔵庫から出した食材の温度が上がるのが早く、下味の浸み込み方が変わる。昆布を水に浸けておく時間の感覚も、冬と夏とでは違う。料理は化学変化の積み重ねですから、環境が変われば、結果もわずかに変わります。「同じようにやったのに」が通用しない季節が、年に何度かやってきます。
でも、それだけではないとも思っています。
心理学に「注意資源」という考え方があります。平たく言うと、人が一度に向けられる集中力には上限がある、ということです。暑さや疲れ、あるいは頭のどこかで別のことを考えているとき、台所に向く注意がほんの少し減っている。その「ほんの少し」が、長年の勘に頼っている工程に、じわりと影響する。だから料理は、体より先に「今日の自分の状態」を教えてくれることがあります。
うまくいかない日の台所は、鏡のようなものかもしれません。
そういう日の、台所の過ごし方
私が長く料理の仕事をしてきてわかったのは、うまくいかない日に「もう一度やり直してみる」のは、だいたい逆効果だということです。焦りが注意をさらに散らして、二度目は一度目より雑になる。
それよりも、その日の仕上がりをいったん受け取ることです。足りないと感じたまま、食卓に出す。翌朝、冷蔵庫に残ったものを眺めて、昨日の何が「ずれていたか」を静かに考える。
学びとは、未来の自分への仕送りのようなものだと、私は思っています。うまくいかなかった日の観察こそが、一週間後の自分の手を、すこし確かにする。
修行時代に、師匠がこんなことを言っていました。
「出来の悪い日を、丁寧に終わらせられる人間は強い。」
当時はよくわからなかった言葉です。今は、少しわかる気がします。
立秋の台所は、まだ夏の熱気の中にあります。でも暦が「秋」と言うなら、そのつもりで少しだけ、肩の力を抜いてみてもいい。季節の変わり目は、やり方を変えてみる口実にもなります。うまくいかない日は、そのための余白でもあるのです。同じところでつまずく方は多くて、教室でも毎年どなたかから同じ質問をいただきます。
