
暦の上では、今日から秋です。
立秋。とはいえ、外はまだ真夏の顔をしています。夕方の風がほんのり変わったような、変わっていないような。そのくらいの気配の話です。
でも私は、立秋の翌朝から、だしの引き方を少しだけ変えます。昆布の量を気持ち多めに。かつお節を少し長めに待つ。数字にすれば微差ですが、意識としては明確な切り替えです。
なぜ翌日なのか、と聞かれることがあります。立秋の当日ではなく。これは理屈というより感覚に近いのですが、あえて言うなら「一晩置いてから」という余白が好きなのです。季節が変わったその日に慌てて動くより、翌朝の台所でそっと切り替える。そのほうが、自分の中でしっくりきます。
夏と秋では、だしの「届き方」が変わる
少し科学的な話をします。
夏の盛りは、気温も体温も高く、発汗によって塩分やミネラルが失われやすい状態が続きます。そのせいか、夏の味覚はどこかおおらかで、濃い味でも受け止めやすい。逆に、薄く澄んだだしがすっと染み入る感覚もある。つまり夏は、極端な方向に両方振れやすい季節です。
一方で秋は、空気が乾き始め、体が落ち着きを取り戻していく時期です。発汗が減り、粘膜が整い、味を繊細に感じ取れる状態に近づいてくる。そうなると、夏と同じ薄さのだしでは少し物足りなく感じることがあります。料理のせいではなく、受け取る側の体が変わっているのです。
だしを濃くする、というよりは「体の解像度が上がってきたのに合わせる」と言ったほうが正確かもしれません。
味覚の感度は、湿度や気温に影響されるという研究があります。高温多湿の環境では甘みや塩味を感じにくくなる傾向があるとも言われています。夏に冷たいものや濃い味を求めるのは、意志の弱さではなく、体の正直な反応なのかもしれません。
秋のだしは、そういう意味で「体が戻ってきたところへの出迎え」です。
変える量はほんの少しでいいのです。だしというのは、昆布一枚の産地や、かつお節の削り方で大きく顔が変わります。まずは今使っている材料で、分量だけ少し動かしてみる。それだけで、汁物の味わいにふくらみが出てきます。驚くほど、変わります。
だしの変化は、料理全体のトーンを静かに引き上げます。まるで部屋の照明をひとつ足したときのように、全体がじんわりと明るくなる感じ。それが、秋の台所です。
立秋を過ぎたら、だしを引くときに少しだけ手を止めてみてください。体が何を求めているか、きっと教えてくれます。季節ごとの手当ては、教室でもその月ごとにお話ししています。
