包丁を研ぐ日を、決めてしまう

包丁を研ぐ日を、決めてしまう

大暑を過ぎると、台所に立つのが億劫になる方もいると思います。暑さで体が重く、段取りも雑になる。そういう時期だからこそ、道具のことを一度きちんと考えてみるといいかもしれません。

包丁は、気が向いたときに研ぐものだと長い間思っていました。「切れなくなってきたな」と感じたら砥石を出す。それで十分だと。でも料理の仕事を重ねるうち、ある考え方に出会いました。

心理学に「実行意図」という言葉があります。「いつかやろう」より「〇〇のときにやる」と決めておくと、行動に移りやすくなる、というものです。難しい話ではなく、要は「曖昧なままにしない」ということです。包丁研ぎに置き換えると、「切れ味が落ちたら研ぐ」ではなく「月の最初の日曜日に研ぐ」と決めてしまう。それだけで、研ぎが暮らしの一部になっていきます。

切れる包丁は、料理の地図を変える

包丁の切れ味と仕上がりの関係は、実は科学的にも語れます。よく切れる刃は食材の細胞をきれいに断ち切ります。潰れた断面と、すっと切れた断面では、火の入り方も、味の染み込み方も変わってくる。玉ねぎを炒めたとき、切れ味の違う包丁で比べてみると、色の変わり方が少し違って見えることがあります。

包丁研ぎは、腕を磨くこととよく似ています。一度で劇的に変わるのではなく、定期的に、少しずつ。その積み重ねが、刃の状態を一定に保ちます。「研ぎすぎると減る」と心配される方もいますが、使い続けることのほうが、刃には負担をかけています。適切に研いで使う、という循環を作ることが大切です。

包丁研ぎを習慣にすると、もう一つ気づくことがあります。研いでいる間、料理のことをぼんやり考えているのです。次は何を作ろうか、あの素材をどう切ろうか。砥石と刃の音を聞きながら、頭の中で台所に立っている。研ぐ時間は、料理を思う時間でもあります。

大暑は、一年でもっとも暑さが極まる節気とされています。昔の人はこの時期を、夏の盛りとして特別に意識していたようです。今の私たちにとっては、エアコンの効いた台所で砥石を出す日、くらいの感覚でいい。暦を生活のリズムに使う、というのはそれくらいゆるくていいと思っています。

包丁研ぎを、大暑に合わせて始める方もいます。夏の始まりに道具を整える。それが半年後の自分への、小さな仕送りになります。

「いつか研ごう」を、今日の夜に変えてみてください。それだけで、台所との関係が少し変わってきます。こうした手順は、教室でも最初にお伝えしていることです。

この記事を書いた人

柿澤ひとし