――レシピの前に、伝えたいことがある
「一汁三菜を教えています」と言うと、
多くの方は、
和食の基本
栄養バランスの良い食事
健康に良い昔ながらの食事
そんなイメージを持たれるかもしれません。
確かに、それらは間違いではありません。
しかし私が料理教室で一汁三菜を扱う理由は、
レシピを覚えてほしいからではないのです。
一汁三菜は、料理の型であると同時に、
**食との向き合い方を整える「考え方」**だからです。

一汁三菜は、料理の技術ではなく「構成力」の話
料理が苦手だという方とお話ししていると、
多くの場合、
「味付けが決まらない」
「レパートリーが少ない」
という悩みを口にされます。
けれど、実はつまずいているのはそこではありません。
何を作るか。
どれくらい作るか。
どう組み立てるか。
この全体の構成が見えないまま台所に立つから、
料理が不安になり、疲れてしまうのです。
一汁三菜は、
- ごはん
- 汁物
- 主菜
- 副菜二つ
という「枠」を先に決めることで、
考える負担を減らす仕組みでもあります。
料理が上手くなる前に必要なのは、
技術よりもまず、
「組み立てる力」なのです。
なぜ初心者ほど、一汁三菜から学ぶと良いのか
料理初心者の方ほど、
「きちんと作らなければ」
「失敗してはいけない」
と力が入ります。
一汁三菜は、その肩の力を、そっと抜いてくれます。
すべてを完璧に作る必要はありません。
主菜が簡単なら、副菜はもっと簡単でいい。
汁物は前日の残りでも構わない。
一汁三菜は、
“全部が主役でなくていい”という構造を持っています。
この構造があるからこそ、
料理は「挑戦」ではなく「日常」になります。
一汁三菜は「料理の自信」を育てる型
不思議なことに、
一汁三菜で食事を組み立てられるようになると、
多くの方がこう言われます。
「今日は何を作ろうか、考えるのが楽になりました」
「外食やお惣菜を見ても、選び方が変わりました」
これは、
レシピを覚えたからではありません。
判断軸が体の中にできたからです。
・今日は主菜を軽めにしよう
・汁物で体を温めよう
・副菜は野菜中心にしよう
こうした判断が自然にできるようになると、
料理は「正解探し」ではなくなります。
一汁三菜は、
料理の正解を教える型ではなく、
自分で決められるようになるための型なのです。
一汁三菜は「健康法」ではなく「整える力」
一汁三菜は、
よく「健康に良い食事」と言われます。
しかし私自身は、
一汁三菜を健康法として教えているつもりはありません。
結果として体が整う。
疲れにくくなる。
食べ過ぎなくなる。
それは、
一汁三菜が
体と相談しながら食べる構造を持っているからです。
今日は疲れているから汁物を多めに。
食欲がない日は主菜を軽く。
そうやって「調整する余白」がある食事は、
長く続きます。

毎日やらなくていい。それでも意味がある理由
誤解を恐れずに言えば、
一汁三菜は毎日きっちりやらなくていいのです。
むしろ、
「やらなければならない型」になった瞬間、
一汁三菜は苦しくなります。
大切なのは、
・戻る場所があること
・整え直す基準があること
外食が続いたあと。
忙しさで食生活が乱れたとき。
「あ、一汁三菜に戻そう」
そう思える場所があることが、
何よりの価値なのです。

レシピより先に、伝えたいこと
料理教室で一汁三菜を教えるとき、
私が一番伝えたいのは、
「こう作ってください」ではありません。
- 料理は完璧でなくていい
- 食事は人と比べるものではない
- 自分の体の声を聞いていい
一汁三菜は、
日本人が長い時間をかけて育ててきた
やさしい食の知恵です。
その知恵を、
現代の暮らしに合う形で、
少しずつ手渡していきたい。
それが、
私が一汁三菜を教え続けている理由です。
